読書日記 第5回 『大東亜論 巨傑誕生篇』
こんにちは。広島で遺品整理業を立ち上げたはっぴいえんどの西本です。 今回は水曜日恒例の読書日記です。 今回ご紹介したい作品は小林よしのり著『大東亜論 巨傑誕生篇』です。
8月27日にアップしたブログ「消えた“国民投票第1位”を探して」で久しぶりに頭山満に触れましたので、久しぶりに読んでみたくなりました。今回はその流れで『大東亜論』を紹介します。
著者の小林よしのりさんはご存知の方はご存知の大漫画家です。最近では言論人としての方が強烈な存在感を発揮していることで知られています。私は漫画では小林よしのりさんの作品だけ読んでいます。もはや漫画というポップなイメージを遥かに凌駕する重厚な内容とボリュームなので、若い学生さんでは読めないという声もあるくらいです。今回紹介する『大東亜論 巨傑誕生篇』も約400ページのボリュームです!
この『大東亜論』は全部で4巻ほど発表されています。2012年から2018年にかけて発表されました。
頭山満と彼を取り巻く人々の生き様を追う壮大な物語だったのですが、残念ながらこの『大東亜論』シリーズを連載していた雑誌「SAPIO」が不定期発行となったことを受けて未完となりました。つまり途中で終わっています。
壮大な物語・・・というものが明治初期から昭和の初期にかけてあったんです。
教科書には書かれていない、胸が躍り、熱くなる“本気で生きた人たち”の姿に興奮し感動する大作が未完で終わってしまったのが残念です。
『大東亜論』の第1巻にあたる“巨傑誕生篇”はこのような言葉ではじまります。
民主主義や啓蒙という価値が浸透すると、どうしても人間が平等に小粒になってしまう。
戦前の日本には、現在とは比べ物にならないスケールをもった大物がたくさんいた。彼らは大東亜に理想の世界を樹立しようと真剣に考え、本気で行動した。
そして、そんな者たちの多くが慕った一人の大物がいる。
まさに大物中の大物、「アジアの巨人」と言われた男である。
その人物の名は頭山満!
いま「頭山満」の名を知っている人は、そう多くはないだろう。
まるで映画の序章みたいな始まりです。 ここから戦前に語られた頭山満伝説が紹介されます。 以前のブログで紹介した、伊藤博文からは大層恐れられていたこと 生涯をかけて無位無官を通したこと お金に無頓着でいつもボロを着ていたこと 国士でありながら年中待合茶屋と呼ばれる現在の料亭みたいなところに居候してお金を請求されなかったこと その待合茶屋が経営が厳しくなり頭山に相談したときに「ちょっと待ってろ」と3時間後には2万円の札束(現在の1億円相当)を持って帰ってきたこと そして、当時であってもこんな言葉があったのだと紹介されます。
一体頭山という人は、どこが偉いのだろうか?さあ難しくなった。世間では立身出世をしたり、金持ちになるのが偉いのだ。(中略)しかるに頭山翁の行き方は変な具合だ。
総理大臣にならない、立身出世をしない、金持ちにならない、それが偉いのだ。何だか妙な感じで皆目わからぬ。
わからぬはずだ、自分らのような小さな了見では葦の髄から天を覗くようなものだ。つかまえたと思っていると、逃げられている。鰻をつかまえるようなものだ。今度は確かにつかまえたと思っても、ぼんやりして煙をつかまえているのだ。
しかし、翁には私心がないこと、それだけは確かにつかまえた。
こんな導入で頭山満を主人公とする物語ははじまります。第1巻に相当する「巨傑誕生篇」では頭山満の誕生から頭山を慕う来島恒喜(くるしまつねき)が当時の外務大臣・大隈重信の脚を爆弾で吹っ飛ばして自刀したところまでを描いています。 時は明治初期、国会が開設される前の話です。 時の政府は悲願の条約改正に向け、行動を起こします。みなさんは条約改正って覚えていますか?歴史の教科書に載っている言葉です。ペリーが来航した頃に当時の江戸幕府が結んだ不平等な条約です。 関税自主権の放棄 治外法権を認める これです。江戸幕府を倒した明治政府は日本が欧米諸国の植民地にならないための生き残り戦略を必死で描いていたのです。全世界が欧米列強の植民地になっているのが当たり前だった時代。この前提をしっかり想像して理解しないとこの頃の日本人が抱いていた恐怖はわかりません。 隣の大国・清が欧米に好き放題搾取されている姿を見ていた当時の日本人の恐怖感と切迫感はきっと今の日本人には理解できないでしょう。しかしそれを想像するのが歴史を正しく理解するために大切なことです。 明治になり近代化を急ぎ、なんとか植民地化をしないために当時の政府は条約改正に打ってでます。当時の総理は黒田清隆。外務大臣に大隈重信という布陣。 しかし、その条約改正の内容はとても“改正”と呼べるものではありませんでした。 例えば、外国人が日本で犯罪を犯した場合、不平等条約のために日本の裁判にかけて処罰するということはできなかったわけです。それを治外法権を認めるというのですが、これを解消するために大隈重信外相が推進したことが、“外国人裁判官の採用”でした。 簡単に言えば、日本国内で裁判をするために外国人の裁判官を招き入れるということです。この条約改正案には多くの国民が反対・反発をしました。頭山満もその中の一人です。 ただ、当時は先ほども言いましたように国会はつくられていません。議論をする場所がないのです。 一方で大隈重信の条約改正に対する情念は凄まじかったと言います。 物語では福岡の青年・来島恒喜が大隈暗殺へと向かう心の変化などが描かれます。 これにはとても感動します。 小林よしのりさんは来島が大隈へ爆弾を投げて自ら命を断つまでの場面を凄まじい筆致で描いています。あまりの迫力に圧倒されるほどです。感情を込めて書かれた絵は読む者を完全に引き込みます。ぜひ読んでみて欲しい所以です。この暗殺劇によりこの時の条約改正は爆弾とともに吹っ飛ぶことになりました。大隈重信は右足を失いました。小村寿太郎や陸奥宗光による条約改正はこれよりまだ後の出来事となります。 来島が死んでのちにこのように彼のことを評した人がいます。大久保利通を暗殺した島田一郎や赤穂浪士と比較しての発言です。
大久保を倒した島田一郎などは非凡の豪傑であったそうだが、現場で腹を掻き切らないで獄に入る恥辱を受け、刑場の露と消えたのは、真の武士道に背馳した見苦しい最後である。
赤穂義士が不倶戴天の仇たる吉良の首級を挙ぐるとすぐに、なぜ吉良邸で割腹しなかったか?首を堤げて泉岳寺へ引き揚げたのは、武士の原則からいうと間違った話だ。
目的を達したと早合点し、とどめも刺さずに自刃したのは、多少急燥ふためいたせいもあろうが、とにかく現場で生命を捨てたのは、日本男児の覚悟として、実に天晴れな最後である。
目的を達して現場で死ぬ・・・なんと武士として美しい覚悟ではないか。来島の最後は、かの赤穂義士の最後よりも秀でている。
来島のことをこう評した人物とは、大隈重信そのひとです。 これを読んで私は涙が止まりませんでした。 このわずか100年程度前の日本人の姿に震撼するしかありませんでした。 今の日本がどんな物語の上に出来上がっているのか。 そしてこんな凄くて壮大な物語が忘れ去られているのはどうしたなのか。 考えさせられることが山ほどあります。 しかしこの物語を物語として楽しむことも十分意義のあることだと思えるのです。
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