懸賞に対する思考

こんにちは。広島で遺品整理業を営むはっぴいえんどの西本です。

皆さんはいわゆる「懸賞」に当たったことがありますか?
私は実はそんな経験がありませんでした。

それが今日、懸賞に当たり、商品が届いたのです。

これは驚きましたね〜。
というよりも、自分がその懸賞に応募していたことすら覚えていなかったのです。
だから驚いた。

なんだか色々考えました。

懸賞に当たったのは記憶の上では今回が初めてではありますが、そもそも何かに応募していたのも初めてかもしれないなとも思ったのです。

そもそも何かしらのプレゼントに応募するという行為すらしたことがなかった可能性があります。
どうして“可能性”などという言葉を使うのか・・・・覚えていないのです。

懸賞に応募するという行為・・・私にはこれに馴染みがないんです。

“プレゼントされる商品が欲しい”というモチベーションがあるなら、当たるか当たらないかわからない懸賞にチャレンジするよりもその商品をちゃんと買ったほうが早いという考えになってしまいます。

もしくは、当たるか当たらないかのギャンブル性に楽しみを見出すということもあるかもしれません。しかし私自身の嗜好の中にそういうギャンブルに対する興味がない。

この絶対的な2つの理屈が自分の心の中に“デーン”と据えられているので検証に対する興味自体が存在しないのです。


だから結局懸賞そのものに参加していないので、プレゼントが当選するわけもないということになります。

これと同じ論理は宝くじに対してもちゃんとあるので宝くじも買ったことがほぼありません。
1度仲間内の企画で買ったことがあるくらいです。


ただ、今回はなぜか懸賞に参加していたんです。
応募していたことすら忘れていたわけです。
上に書いたような気持ちを懸賞に対して抱いているので、そもそもどうして応募していたのかも記憶がないという・・・。

でも、思いもよらぬところから“当選”というプレゼントが届いた。

これは案外嬉しかったですね。

これくらいの塩梅が一番嬉しいのかもしれないなと思いました。

当選を期待して待ち焦がれるというのはさっきも書いたように、“そんなに商品が欲しいなら買っちゃいなさいよ”ってなるので、プレゼントを熱望して待つという理屈自体が成立しません。

一方でギャンブル性を楽しむという嗜好はないので応募自体もしないわけでこれも成立しない。

しかし、記憶にないほど小さな文脈で応募していた・・・。
この些細さが重要ってことになりますね。

当選に至るまでのプロセスは私の人生にとっては興味も楽しみもない事柄なのですが、思いもよらぬ“当選”はちゃんと嬉しいとう単なるわがまま体質なのですね。


そんなよくわからない巡回思考を巡らせた“嬉しい出来事”でした。

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