賢者は歴史に学ぶ・・・のか?

こんにちは。広島で遺品整理業を営むはっぴいえんどの西本です。

ある程度長い時間生きていると“デジャヴ”なのではないかという場面に多く出会います。

“夢で見たのかなぁ”“予知夢だったのかな”みたいな経験ってみなさんおありですよね?
あの感覚って何なのかなぁといつも思うのですが、いつも深追いをすることなく生活しています。

このような感覚とは別に、自身が経験を積んでいるが故に“似たようなことをかつて経験したなぁ”という思い出し方をすることもあります。そういうことが増えてきました。

これこそ年齢を重ねることの醍醐味なのではないかという瞬間があるほどです。

それは仕事のことでもありますし、社会のことでもあります。

賢者は歴史に学び、愚者は経験に学ぶ

常に心に留め置いている大切な言葉です。
私たちの遺品整理業はこの“歴史”も“経験”もバランスをとって大切にする仕事だなぁといつも心に刻んでいます。


話がやや観念的でした。
少し具体的な話をします。

1995年、私は中学2年生でした。
今も忘れることはない、地下鉄サリン事件があった年です。

中学生だったあの頃の印象=経験は、“怖い集団”という強烈なものを私に残しています。
おそらく歴史の教科書にも“怖い集団”“悪い事件”という趣旨の記述が為されていることでしょう。

一方で、このおぞましいテロ事件から遡ること2年から3年、世間はあの“怖い集団”をどのように見ていたのでしょうか?

遠い私の記憶ですと、随分とバラエティ番組やワイドショーに出て、奇異な目で見られていたような印象があります。これも自分の微かな経験の記憶です。

当時、大人だった人たちは“あの頃”、あの集団をどのような印象で見ていたのでしょうか?
あの時代の“渦中”の空気を知りたいのです。

今は時間が経過し、重大な事件もあり、誰もが“怖い集団”“悪い事件”という評価を確定しています。

その事件の前の“彼ら”の評価や印象・・・。
当時の文献を漁ると、多くは物珍しい感覚で見ていたり、宗教的なことで口をつぐんでいたりと様々な疑惑を指摘されながらも“そのまま”になっていて、一部それを面白がっていた人たちがいたという印象でしょうか。


この頃を“真っ最中”に生きていた人たちが後にあのような事件を受けて、当時の印象をどのように変えて、それに対してどんな感覚を持ったのか・・・それこそが私が一番知りたい“歴史”です。


私も40歳になりました。
“似たような”歴史というものに遭遇することが増えているんです。
今、現在こそがそうです。

人は本当に歴史に学ぶことがあるのだろうか。

それを強烈に思う、今日この頃です。

(明日の「今週の思っちゃった⑩へ続く)


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