プロの習性とは

こんにちは。広島で遺品整理業を営むはっぴいえんどの西本です。

生きていると一度発表したり、完成したとして公表したりした自分の仕事が“間違っていた”として訂正することってあります。仕事に限らず日常生活でもありますよね。いわゆる「ごめんなさい。間違っていました。本当はこうです。」というようなことです。

多少はこういうことはあるのですが、公的な場所ではそういう“訂正”が頻発すると信頼を失うものです。だから極力そういうことは避けようと丁寧に仕事をするんです。その姿こそがプロの姿とも言えますよね。

仕事において、一度お客さまに伝えたことは、後からそれがミスによって間違っていたとしても、極力一度伝えたことで成立させようとするものです。やはり後出しジャンケン的に「やっぱり間違っていました。実はこうです。」というセリフは言いたくない。だから最初は一度公表したことが事実であるように調整するものです。その調整で帳尻が合わないとなれば、正直に謝罪をして“訂正”をします。

仕事ってそれだけ“訂正”というものを嫌います。
この感覚がなくなればどうなるのでしょうか。
先ほど“信頼を失う”と書きました。それ以外に生まれることがあるでしょうか。
ある政治家はこんなことを言っていました。
「最近は問題を起こしていないから、問題のない団体だと思っていた」
「まともな団体になったと認識していたから問題ないと思っていました」

実際は最近でもカルト商法で逮捕者が出ていたりするのですが、「問題ない団体」だと認識した理由ってどこにあるのかなぁ・・・というか、こんなの言い訳になるの?という思いで言い訳なのかなんなのかよくわからないコメントを聞いていたのですがこのツイートみたいな状況みたいです。

実際、安倍氏を暗殺した男性も家族崩壊をしているわけですから、この問題は現在進行形なのは間違いないんです。

唯一、誰も大して問題としていなかったというだけです。
報じていなかっただけです。

“報じていない=問題がない”と言えてしまえる感性って恐ろしいなぁと思います。
要は“報じている”というこそが全てだと白状しているようなものだから。
マスコミこそが世界って言っているようなものだから。

国会議員ってマスコミが取り上げるような内容はほんの一部で、正確に国民の声を聞くのが大切という姿勢で仕事に臨むのが仕事じゃありませんでしたっけ?

そうです。
「問題を起こしていなから大丈夫だと思った」というセリフは自ら国会議員失格と白状しているようなものなのです。

しかも、“訂正”を安易にしようとしている根性もこれまたプロ失格です。

自民党が先日発表した統一教会との関係のアンケート結果も、すでに朝日新聞や毎日新聞が“公表されているもの以外にも関係があるのでは?”という記事を報じ始めています。

またも“訂正”をするのでしょうか。

「やっぱり間違っていました」を乱発するのは何を生むんでしたっけ?
確か、信頼を失うんでした。

政治家もプロフェッショナルなので、“お客さま”はちゃんとプロ失格の仕事にはちゃんと評価を下さないといけません。じゃないとプロはプロとしての姿勢を正せませんから。

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