伝えることと鏡

こんにちは。広島で遺品整理業を営むはっぴいえんどの西本です。


先ほどまで聞いていた討論番組があります。
そこでの議論。


「生活のために感染対策をしているのか」

「感染対策のために生活しているのか」


“はっ”と気付かされることってありませんか?
私は“はっ”すると同時に、“すごい表現だなぁ”と思いました。
それは悔しいほどの表現だと思います。

上に書いたセリフはもちろん、現状のコロナ社会を議論している最中に出てきたセリフです。
想像に難くありませんよね。


このセリフを聞いて“悔しいなぁ”と思ったのは、あのセンテンスの短さで現状の行き詰まりを見事に言い当てた表現力です。さすが言葉を扱う言論人だなぁと膝を打つような思いでした。

たった2行で今の社会の現状を言い当てて、何が言いたいのかよくわかる。
すごいなぁと思います。


自分自身、言論を扱う学問出身ですし、それを意識した生活をしてきました。
仕事においても“言葉”の使い方・・・つまり語彙であったり、表現力であったり、言葉の費やし方であったり、あらゆることを視野に言葉を使い回していた自負があります。

時にはナイフのような言葉をあえて使う。
ある時にはあえて曖昧な表現に留めてこの場での諍いを回避する。

常に自分が使う言葉の“ポジション”みたいなものを考えてそれが駆使されている。
それが理想的であると思っています。

その引き出しを増やすためにはもちろん読書は必要でしょう。
しかし、勉強して増えた語彙が仕事や日常生活で活躍するとは限りません。難しすぎて伝わらないなんてことがありふれています。

だからこそ、言葉は平易で、本質を言い当てる言葉を使いたいと思うのです。

ただ、意識をするとなかなか核心をつくような素晴らしい表現は見つけられないものです。
何しろ、それが平易で分かりやすくて本質を突いていると判断するのは自分ではなくて、それを聞いている相手だからです。

自分自身の顔を正確な形で見ることはできないことと似ています。
自分の顔は鏡で見ることができますが、鏡は反転していますから厳密には正確に自分の顔を見ていることにはなっていないことと似ています。

結局、堂々巡りなんだろうと思います。
しかし、あのような見事な表現力に“はっ”するアンテナはずっと張っていたいと強く望みます。


先程の“名セリフ”は哲学者の東浩紀さんの発言です。
さすが名著が多い東さんのセリフです。

まだまだ勉強不足です。
もっともっと“すごい人たち”の言葉を聞いて吸収したいと思います。
楽しみになってきました。

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