こんにちは。広島で遺品整理業を立ち上げたはっぴいえんどの西本です。
今回は思い出話をします。
下の写真は自分のスマートフォンの中にある写真です。
2014年8月。
ある会社の「原子力災害の現実を見る 富岡&小名浜復興支援ツアー」という企画に参加した時の写真です。
2011年の東日本大震災から3年半近く経過した福島県富岡市と小名浜を“観光”に行き、復興支援をするという日帰りツアーでした。広島から前日に東京へ入り宿泊し、翌朝集合で福島へ行きました。
2011年の東日本大震災は私の中での大きな転機となっています。
自分の仕事と社会をつなぐものについて考えることになりました。あれだけの出来事が起きて、自分の周囲は広島でどこか遠い場所での“ニュース”なので・・・というふうには全く思えず、自分の仕事と社会を地続きにしないといけない。そうでないと仕事をしている意味はない。そう考えたのです。
そこから仕事への向き合い方が変わりました。常に自分の仕事は会社だけではなく、社会へどのように貢献できるのかという意味を考えながら取り組むようになりました。それは今でも変わらないまま今日に至っています。
それだけ自分の中にはあの東日本大震災は忘れられない出来事として存在しています。
なので2014年に現地に見に行くことができると聞いたときにはすぐさま参加を決めました。
写真のツアーからすでに7年が経過しました。時の流れは早いですね。
富岡・小名浜ツアーは衝撃的なものでした。写真を見ても未だに衝撃を受けます。
今となってはこの写真も貴重な資料になっていますね。
バスで誰もいなくなった街を進むわけです。
そこは
人が確かにいた場所
人が確実に生きていた場所
人がいなくなって3年が経っていたわけですが、それがそのまま残っているという景色は言葉が出ないものでした。固唾を飲んで景色を見ていたことを今でもはっきりと覚えています。
確実に人が生きていた
しかし、
今はそこに人はいない
この埋めがたい感情はなんなのだろうとずっと考えていました。
どうしようもない喪失感とそこにあった生活感。
このギャップに当時の自分は途方に暮れて立ち止まるしかありませんでした。
今では“確実に人が生きていた”と“今はそこにいない”の間に慰霊という感情があるのだと思っています。
そこに“人が生きていた”という物語に誰もが何かを思わざるを得ません。
考えてみればそれは歴史を重ねてきている以上、どこにもあることです。
遺品整理にも同じことが言えます。
そこに“生きていた”場所に想いを馳せ、神妙に向き合うことが遺品整理業にとっては大切な精神だと思うのです。
はっぴいえんどはこの想いを大切に遺品整理業に向き合っています。
2014年の、今の企業精神へ至る出来事の話でした。
はっぴいえんどは広島エリア(広島市・廿日市市・大竹市)で以下のサービスを提供しています。
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