想像力とポジショントーク

こんにちは。広島で遺品整理業を営むはっぴいえんどの西本です。

こちらのニュース、数ヶ月前に世間を賑わせましたね。進展があったとのことです。
みなさんはこちらのニュース、どう思われますか?
Twitterなどのコメントを見ているとこんな意見が散見されます…。

自業自得。
どうして失明するようなことをしていたのか?
失明に至る経緯こそ大切。
どうして暴走を疑われるような場所と時間にいたのかが問題。

このニュースについてリサーチをかけると概ねこんなコメントで溢れています。というよりこんなコメントで溢れています。

そもそも今回失明した男性が暴走行為をしていたのかはわかりません。

しかし仮にそうだったとしましょう。

では次にこんな疑問がわいてきます。

暴走行為をしている人たちは失明してしまうような暴行を受けても問題ないのか?

そんな法律ありましたっけ?

暴走行為に腹が立つ気持ちはわかります。
いきりたって調子に乗って大人を威嚇してくる未熟な若人がムカつくのもわかります。
暴走族のやかましいバイク音に石の一つも投げたく気持ちもわかります。

しかし失明してしまうような暴行ってアリでしたっけ?

失明してしまうような暴力にさらされるときってどんな瞬間なのでしょうか?

失明したあとも当人には人生が続きます。
失明を背負って死ぬまで生きなさいという罪ってどれほど重いのでしょうか?

私はそっちに想像が向かいます。

失明して「ざまあみろ」などと言われる人生は本当に存在するのか?存在していいのか?
失明って一生ものでしょう。
懲役刑だって終わりがあります。
しかし失明に終わりはあるのでしょうか?


昔、私の好きだった知識人に佐々淳行さんという方がいました。あの浅間山荘事件を指揮した元警察の人です。

佐々さんが当時頻発していた赤軍派らのテロや人質事件に対し、日本の警察は「発砲が許されない」と嘆いていました。

日本は未だに安易に銃を発砲しづらい国です(たぶん)。

これは安易に発砲すると法はもちろんですが、国民世論が許してくれないだろうという“縛り”が警察を覆っていたと言います。

今はどうでしょうか。
そんな世論存在しますかね?


失明しても「仕方がない」「当然だ」「自業自得」と簡単に言えちゃうマッチョな“世論”は本当に力強くて健全なものなのでしょうか。

私には全く想像力もない安直な空気にしか思えないですね。

佐々さんが嘆いていたいざというときにも発砲できない世論の対極ではありますが結局想像してのない単なる“ポジショントーク”でしょう。

こういう勇ましきポジショントークが世間を動かしていることを知っています。

しかしこんなので近い将来、戦争に突入するみたいな展開は私はごめん被ります。

失明するなんて、どんな理由であれ痛ましいことですよ、普通。

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