こんにちは。広島で遺品整理業を営むはっぴいえんどの西本です。
世の中の空気は常に移ろいやすいものです。
数年前の常識は今ではすっかり変わっているなんてこと・・・本当にそんなことってあります?なんて思っていた時期がありました。しかし今となってはそれを痛感する日々です。
つい数年前までは誰も彼もいつだってマスクをしているなんてこと考えられませんでした。
その一事をとっても世の中の空気なんていつだって変わっているということなんでしょう。
ただ、その変化ってなんだかんだ言って、“いつの間にか”とか“なんとなく”変わっていることが多いです。
ルーズソックスが常識だった時代はいつの間にかそれが“古い”ことになって、いつしかリバイバルしている・・・みたいな。
「はい!今日からこの価値観は古くなったので、新しくはこんな感じでやっていきます!!!」
こんな明確なラインが引かれることなんてないんです。
変化はいつだって“知らないうち”にやってくる。
現在を漂うこのヘンテコな空気を作った一人である偉い先生がなんとなく違うことを言い出しました。
「ステイホームなんてしなくていい」
知事や市長を経験したコメンテーターがこんなことを言っていました。
「専門家はどこがどう間違っていたかをちゃんと言ってほしい」
世の中が全員に対して“右向け右”って言っている時を“全体主義”と言います。
考えの違いという自由を認めないわけですからそれは“全体主義”と言うのです。
変化はいつの間にか訪れると言いますが、そういえば1945年の終戦はガラッと空気を変えた出来事でした。
「鬼畜米英」から「ギブミーチョコレート」へ。
「全体主義」から「民主主義」へ(異論があることは認めます)。
1945年はアメリカによっていわば強引に変化のラインが引かれたという異例中の異例が行われたと言うことなのでしょうか。
我が国は価値観の大転換という“ライン”を見たことがある稀有な国なのかもしれません。
私は現代の視点で過去を裁くことを憎みます。
それは現代人による過去への傲慢な態度だからです。
過去を学ぶときは過去の価値観があったということを尊重すべきだと考えています。
果たして現代はどうなることでしょうか。
かつては1945年に起きた価値観の転換という“ライン”を憎んでいた私ですが、今ではこの現代にしっかりと“ライン”が引かれた方がいいのではないかと思っています。
なんとなく偉い先生が危機感を感じて違うことを言い出す。
空気を感じて保身を図るかのような発言をして、なんとなく空気が変わっていって、誰も責任を取ることなく終わる・・・そんな適当な変化は今回に関しては避けていただきたい。
コメンテーターさんが言うように「どこをどう間違っていたのか」をちゃんという大人が出てきてほしいですね。
そうじゃないと子どもたちがかわいそうです。
あまりに大人がダサすぎます。
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