読書日記 第15回 『芸人人語』
こんにちは。広島で遺品整理業を営むはっぴいえんどの西本です。 今回の読書日記はタイミング的にもこれがいいでしょう。
太田光著『芸人人語』。 お笑い芸人・爆笑問題の太田光さんの著作です。 太田光さんといえば、先日の衆議院総選挙の開票番組での態度や言葉遣いが“大炎上”した時の人といえるでしょうか。 あの番組を私は見ていました。先日のブログでも書きましたね。 率直に言って、太田さんといろんな政治家さんとのトークは“楽しかった”ですよ。 出てくる政治家が太田さんと話をするのが大変そうでしたね。 露骨に嫌そうな顔をしている人もいました。 二階さんなんてつばきを飛ばしながら「失礼じゃないか」ってすごい顔でテレビの前で怒鳴っていましたね。 世間はこれを引き出した太田さんに対し「無礼」とか「態度が悪い」と怒っています。 私はこれこそが「面白かった」と思っています。 太田光じゃないとできなかったことなのだろうと思います。 話が途中で終わっちゃう展開ばかりだったので、それがもどかしいなぁと思うことは思いましたが・・・。 だって、そうじゃないですか。 他のチャンネルでは、インタビュアーがミヤネなのか、イケガミなのか、ハシモトなのかの違いだけで、聞いている内容はほぼ差がないのです。政治家はある程度想定していた“テンプレート”を発すればあっという間に5分たってインタビューが終わっちゃうわけです。こんなのの何を見て面白いと思うのか私にはさっぱりわかりません。 太田さんも後日ラジオ番組で言っていましたが、「選挙番組ってそんなに特別だったの?」というのは私も全く同意見だと思いました。 選挙番組は全員が全員、クソ真面目な顔をして、面白くもない質問をして、政治家が「楽勝」って思う場面を演出する・・・そういうものでしたっけ?と思うのです。 それよりもある程度、偽悪的なのか自然に出ちゃったのかは知りませんが、太田さんの態度で顰めっ面をしてしまう権力者を見て“なんだ大した器じゃないのかこの人”っていうシーンを見た方がよほど人間的なのではないでしょうか。 太田さんへの批判の中に「失礼じゃないか」ってのがありましたが、いつから政治家は“上”の人になっちゃったんでしょう。 選んでいるのは国民のはずなのに。 そういう意味でこの炎上騒ぎは“見る側”の器を炙り出しているなぁと思います。 私から見ると、「所詮、テレビですよ?」です。 肝心の本を紹介する前に、長々と先日の騒動について語り過ぎましたが、実は今回の騒動はこの本を読んでいれば、すんなりと理解できたものでした。 『芸人人語』はこの3年ぐらいの世間で起きたことを題材に太田さんの思考が綴られた作品です。 ただその内容はそこらへんのエッセイではありません。 正直に言いますと、私は昨年出版されたこの本を読んで太田さんを「すごい人だ」と思うようになりました。 それまではもちろん爆笑問題は知っていましたが、あまり好きな方ではありませんでした。 この本を読むと、“ああ、これだけの思索を深めて世の中に対峙しているんだ”というのがわかります。 その上であれだけの笑いをやっているんだ・・・と太田さんの見え方が一変してしまいました。 あいちトリエンナーレの表現の自由騒動、女帝論、いじめ、コロナ、安倍政権、ピエール瀧の薬物事件などなど、騒動や事件を通じて太田さんが思うことが書かれているこの作品。 そこには単純ではない、思索の過程が書いてあります。 ニュースや政治を語るときは、痛快で単純な意見を論じる方がウケがいいです。 私自身もこのブログでも似たようなことをやっていたりするので、その感覚がちゃんとあります。 毒舌の方がウケがいい。 そして爆笑問題の漫才も、痛快で毒舌。 だからウケがいい。 しかし、この本は全くそうではない。 ひたすら考えている太田さんの姿がそのまま書かれています。 ちょっと前に世間を騒がせた神戸の学校であった、教師が教師をいじめていたという事件。 それに対し、太田さんは“いじめとわらい”について「はじめてのおつかい」や「爆笑問題の田中さん」という具体例を取り上げ、“人は人の困った様子を見て笑ったり”、“人の失敗を笑う”可能性があると考え、この教師によるいじめ事件について思索を深めます。 “いじめて”いた教師は冗談のつもりで始めたのかもしれない。
しかし「これは行きすぎかも」と感じてからが、実はやっかいだ。最初は戯れのつもりではじめたことが「いじめかも?」と思った途端おそらくいじめは加速する。「いや、これは冗談だ」「自分たちがやっていることは遊びだ」と無理矢理にでも思いたい。だから「冗談」に戻そうとしていじめは加速し戻れなくなり過激化する。「こんなことでも笑えるはずだ」「もっと笑えよ」「笑わなきゃいじめみたいじゃないか」
あの動画の教師たちは不自然なほど大笑いしていたと言います。 そして、いじめていた教師たちは生徒たちにも冗談めかしてその教師のことを話していたそうです。 それについて太田さんはこう言います。
一連のことを「冗談」にしたい女性教諭は「面白い話」として生徒に話す。ここで重要な役割をするのが、いわゆる「空気」ってやつだ。日常的に形成される「空気」、これを壊すことは至難の業だ。子供は大人の「空気」をよく見ている。
(中略)
酷だが、大人、子供にかかわらず、いじめの傍観者はこうして生まれるということだ。
そして今、新たな「空気」が生まれつつある。雑誌やネットを中心に、加害教諭を特定し、糾弾しようという「空気」だ。彼らは自分の「正義」に一点の迷いもない。女性教諭が自分は男性教諭をかわいがっているのだと信じて疑わなかったのと同じように。
(中略)
これは「正義」だと信じてる。行きすぎたかもしれないと思ったときにはもう引き返せない。何かに蓋をして自分を騙し、「正義」を貫き「正義」を証明しようとする。加害教諭がバタバタと倒れた時、初めて自分達は「行きすぎた」「いじめだった」と気づく。
私はこれを読んだときに痺れました。 “一点の迷いもない”という空気・・・選挙番組を見る人の意識も似ていますね。 「無礼だ」「失礼だ」と叩きまくる自分たちの正義を信じて疑わない空気・・・似ていますね。 蛇足ですが、この文章は今現在、展開されている東京都議会議員のなんとかさんにも当てはまりそうな気がしているんですよね・・・。 こういうことを考えながら生きている太田さんが先日の選挙番組で何を振る舞ったのか? 私が太田さんの何を知っているのか?って感じではありますけど、私は単純に「人間らしくて面白かったですよ」と太田さんに言いたいですよ。 なんだか終始、太田光擁護論みたいになってしまいましたが、こうやって思索を繰り返しながら、でも笑いは痛快にやっている太田さん、人間的にすごく興味がありますし、魅力的です。 この「芸人人語」はどこかで連載されているそうなので、次作もきっと発表されることでしょう。楽しみにしています。
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